私はタクシーの運転をする仕事柄、様々な人を乗せます。
お客同士の会話や、話し相手になることもしばしばありまして、そこから様々な情報を耳にする機会があります。
今回はその中でも私自身も関心のある事案として、会社…つまり企業における人不足と若者の働く意欲が喪失していることによる会社と若者の価値観の相違を考察してみました。
会社の人不足について
私の仕事柄、お客には会社の重役や営業の社員などといった方々を乗せる機会が多いです。
度々耳にする会話の一つに、人不足のお題があります。
「○○さん、来月で辞めるらしいよ」
「だよね~。『まとも』な人ならウチで長くは働かないよ」
「去年の5月頃に入社した新人なんですけど、10月になってから会社に来なくなりました」
「え? マジで? それどうすんの?」
「ひとまず派遣を募集して補填する予定です」
などといった話がよく耳に入ってきます。
人不足と嘆く企業はいても、人が多すぎるという企業の話は全く聞きませんねw
乗せるお客さんからも「募集しても人が来てくれないんですよ…」なんて嘆きを耳にします。
私が思うに、人が来てくれない原因は大まかには以下のものではないかと考えます。
- 労働環境がキツい
- 賃金が低い
- 仕事量と賃金が釣り合っていない
- 募集条件のハードルが高すぎる
- 求人情報がちゃんと広まっていない
人は本質的に楽をしたい生き物です。
何を楽と定義付けるかは人の価値観それぞれですが、少なくとも、世間一般で物理的・精神的に負担が大きい…つまりキツい仕事を好んでやる人は決して多くはありません。
当然、そんな環境に望んで入ってくる人がほぼいないのは自然の摂理にも等しいです。
希望的観測は広告材料にはならない
以前、とある派遣会社の面接を受けた際、派遣先の工場の労働環境がキツいことを事前に説明された際、同時に改善へと調整していることも説明されました。
しかし私は面接を以ってその派遣会社の入社を辞退しました。
確かに改善に向けられているのは良いことだと思います。
環境も包み隠さずに正直に説明してくれることは好感も持てます。
でもだからって、そこへ入る理由にはなりませんね。
何故なら、そこへ入る『今』の環境がまだ改善されていないからです。
つまり今入社したところで労働環境はキツいままです。
改善を入社へのアピールにするならば、改善する前ではなく、改善してからアピールしなければ意味がありません。
いくら改善を目指すことを目玉にしていても、結局実現されなければただの願望です。
労働者からすれば、明確な改善の目処や保証もないままそんな場所に身を投じても、必要以上の負担を自分に掛けるだけです。
もし当初の目論見の改善が叶わなかったら、そこに身を投じた労働者はどうなるのでしょうか?
改善されることを期待して、ひたすら働くだけ働かされた挙げ句、その期待が自分に還元されなかった時、労働者の手元に何が残るのでしょうか?
会社は環境の改善に対して、労働者への保証や責任を背負いません。
事業としてではなく、あくまでも今期の抱負みたいな漠然とした目標でしかなく、目標達成ができなかったら、「今回は失敗しちゃったけど、次回頑張りましょう!」程度の扱いで終わってしまうでしょう。
ある程度社会人経験をしている人や、頭の回転の早い人なんかはたちまちこの裏を読んで迷わず入社を辞退します。
そこまで考えに至らなかった人は、入社してからその裏事情に気づいて次回から会社に来なくなる流れになると思われます。
結果として、中途半端な期待を持たせようとすると、却って人は集まらないということです。
インターネットを駆使して求人情報広める
私のいる会社もそうですが、昭和やそれ以前に創業された会社は、全体的に保守的かつ新しいものを導入する腰が重いです。
人不足ではあるものの、求人情報が広く知れ渡っていないためにどんなに労働環境や賃金を良くしても誰も気付かないなんて陳腐なオチもザラにあります。
ハローワークや新聞の広告、会社やお店の前に貼られた求人情報なども見かけますが、多くの若者が一番に見るものはやはりインターネットの情報です。
仮にハロワや他の求人サイトなどで気になる求人を見ても、真っ先に応募はせずにネットでその企業の情報を検索しています。
企業のホームページの有無、その内容に関してはもちろんのこと、その企業に勤務経験がある第三者のレビューなども調べます。
- 会社としての評判はどうか?
- 労働者への扱いや待遇はどうなのか?
- ブラック企業であるかどうか?
などを事細かに調べます。
これは長期的な勤務を視野に入れている会社であれば尚の事精査します。
これらの情報が十分に足りていなかったりすると、求人への応募は高確率で見送られます。
ネットやSNSの普及で情報発信が個人でも容易になった分、これを駆使しないのは大損をしているものだと思います。
嘘をつく会社に人は絶対集まらない
私が以前転職活動をしていた際、求人サイトでとある都内の会社の求人を見ました。
広告のデザイン系の求人で、応募条件や資格の必要とかで厳しいのでは?と思ったのですが、経験や技術を一切問わず、やる気さえあればいい!ということが大きく宣伝されていました。
とはいえ、それで本当に大丈夫なのか?と不安だったので、自分の技術面や経験の有無などの身の上を事細かに書いて連絡をしてみました。
するとすぐに返事が来て「是非面接をしたい!」とのこと。
自分における能力で大丈夫だったら応募したいですと書いた上で会社側が面接をしたいとのことだったので、都内までそこそこ高い交通費を払って面接に行きました。
この高い交通費のこともあったので、よほど見込みがなければ無闇に面接はしたくなかったという台所事情もありました。
面接担当者はその会社の経営者と思われる3,40代ほどの男性でした。
この面接が始まるやいなや、最初に尋ねられた質問は美大を卒業しているかどうかでした。
瞬間、私は眉をひそめました。
応募のメールをした際に自分の学歴や経験等は全て伝えてありました。
しかもこの面接をしている男性に直接です。
にも関わらず、このような質問が最初に飛んでくるなんて、違和感以外の何物もありません。
挙げ句、美大を出てないとちょっと厳しい…などとほざき始めました。
私は一切の経験なしでも大丈夫ということで応募しましたと言いました。
相手はややどもりました。
仮に美大を出た上でまだ就職したことがなければそれも未経験者として扱われますし、そういった人材が欲しいというのが向こうの本音なのかもしれませんが、私は応募の段階でそうではない旨を事細かに書いた上でそれで大丈夫ですか?と、確認を取っています。
それならば何故面接に呼んだのか?って話です。
これを追求した結果、この会社はあくまでも美大出身者が欲しかったようで、経験や技術不問というのは不特定多数の人に見て応募して欲しいからという実に身勝手かつ悪質なやり口でした。
要するにこの会社は美大卒者以外を採用する気はなかったのです。
このようなやり口はこの会社に限らず各業種の企業でも横行しています。
ある程度転職活動を経験した方なら似たような経験をした人もいるのではないかと思います。
確かに不特定多数の人たちに求人情報を認知して貰う方法としては効果的だとは思います。
しかし、そもそもの目的として、自社の戦力になってくれる人材を獲得することが目的であって、対象外の不特定多数に認知してもらう必要性がありません。
根本的な採用条件があるのにそれを満たしていない人まで巻き込んで何の特があるのでしょうか?
これは結果として嘘をついたことになります。
資格を有している人は自ずとその資格が条件に見合っている求人を探します。
見合っていれば応募するし、見合ってなければ応募しないだけです。
企業が嘘をついてまで不特定多数を巻き込む必要性がありません。
むしろ巻き込まれた側は迷惑千万ですし、そこから嘘をつく会社であると認識され、ネットで吹聴されればそれこそ会社は大損失です。
こういった嘘をつく会社はたちまち見破られるし、その黒い場面はすぐにネットに拡散されます。
一度拡散した情報はそう簡単には消えません。
賃金や福利厚生、残業量などをいくら誤魔化そうと見栄え良く脚色しても、嘘をついていたという実態が明るみになると、人はどんどん離れていきます。
会社が不真面目な姿勢で応募を募っても不真面目な人しか来ませんし、真面目な人が来てもすぐにそっぽを向かれるし、不真面目な人もすぐに辞めてしまいます。
面接=企業側が上というのは企業側の傲りです。
面接は企業と応募者が対等で、互いに自分に見合ったもの同士か?を吟味するための場です。
昨今の若者はそれらを全て見透かしています。
若者の応募が来ない会社にはそういった傲慢さが見え隠れしているのではないかと考えます。
反面、たとえ悪い面があっても包み隠さず真正直に紹介する会社は好感度を得られやすいです。
一度裏切った奴は何度でも裏切るなんて考え方があるように、一度嘘をついた会社に入ったところで、またどこかで嘘をつかれて寝首をかかれる懸念が常に付きまといます。
そんな居心地の悪いところに誰だって居たくはりません。
まして企業と応募者のファーストコンタクトである面接の場で開口一番に嘘でもついたら第一印象最悪です。
客商売で誠実さを意識することを第一とするならば、まず従業員への誠実さを会社が証明しなければ顧客への誠実さが第一であることは証明できません。
内部が不信頼な状態の会社が顧客に誠実さを提供できると思いますか?
つまるところ、ブラック企業なんて単語が流行ったことをきっかけに、多くの若者は企業に対して疑心暗鬼になっているのが実情なのです。
これを払拭できなければその会社は潰れるまで永遠と人不足のままでしょう。
若者が働くことに消極的について
私のいる会社も含め、お客で乗る会社員の方々も皆共通して人材不足の中でも特に若者の不足を嘆いています。
西暦2000年が始まっていつの間にやら20年が経とうとしている中、人も企業も世代交代が始まっています。
少子化なんて言われているように、若者の数が少ないご時世です。
会社内の高齢化に伴って、若い人材を増やして会社の基盤を盤石にしたいというのが多くの企業の考えなのでしょうが、その願いが叶っている企業は一握りの大手を除いてほとんど見かけません。
若者の慢性的な不足は単に少子化による減少問題だけではありません。
働く意欲の喪失
単刀直入に言いますと、今の若者は心底働きたくないのです。
「働いたら負け」なんて言葉が一時期冗談交じりで流行っていましたが、今現在はその言葉が冗談にならない領域にまで達しています。
働きたくない事情は各々様々にあるでしょうが、少なくとも共通していることは働く意欲の喪失です。
これには原因がいくつかあります。
- 賃金が少ない
- 休みが少ない
- 残業が常態化している
- 人間関係に疲れた
働くということは自分の時間と労働力を対価にしてお金をもらう行為です。
働いた分の賃金は最低限ちゃんと払って欲しいという考えはほとんどの人の考えであると思います。
例えば、経済が好景気だった世に言うバブル時代の頃を経験した昭和の人と、そうでない 平成生まれの人では、働くことに対する価値観が全く異なっていると思われます。
私の仕事でも、先輩の方やバブルを経験したお客からの話を聞くと、それは大層のあぶく銭を得ることができたそうです。
一日働くだけで数十万、ひと月の月収が数百万に達することもあったなんて話も聞きました。
この頃の労働と賃金の割合は、言うなれば働いだ分しっかり稼げるが最低レベルとすれば、最高は働いた分以上の成果を稼ぐことができる時代です。
普段の定時の労働に残業をプラスアルファすることで破格の手当が入るようなものです。
「ちょっと今月は残業頑張って給料日には新しい車でも買おうか♪」みたいなノリが世迷い言ではなかった頃です。
そんなにもらえるのなら誰だってがんばります。
ところが現代はどうでしょうか?
働いた分以下の最低限の賃金が主流の世の中です。
ハロワなどの求人情報に載っている給与額も、よく見ると残業した際の残業手当を込みした場合の額になっていることがほとんどですし、それは各種保険などの税金が引かれていない額です。
最低賃金ギリギリかそれすらも下回っているなんて人の方が圧倒的に多いです。
残業を頑張ったところで、得られる手当は日雇いの日給程度の額です。
ちょっと頑張って給料日には新しい車を買おうか♪なんてノリはほぼ無理です。
せいぜい「今月のスマホ代が高かったから、軽く埋め合わせるか」「来月あたり軽く飯行く金稼ぐか」レベルのものです。
確かにあれば色々助かるお金ではありますが、けれどそこまで無茶してまで手に入れたいという程の額ではありません。
果たして自分のプライベートを削ってまでやる価値があるものなのか?っていう認識です。
つまるところ大出世なんて事象はほとんどありえないのです。
多くの会社は存続するための現状維持や、過去の負債を返済することに重点を置き、人材育成や世代交代による社内の刷新などを二の次に置いています。
そしてそれらを実現するには若者の労働力が必要不可欠です。
安く雇って多く働かせることで、下火に傾く経営の水平意地を図っています。
だから多くの企業は派遣社員に依存しています。
必要な時に使えて、要らなくなったら切り捨てられる都合の良い労働力です。
そんなことをしないと会社を維持することもできない時点で、その会社は経営破綻をしているのです。
それらの実態を知った若者が、企業に対して如何なる期待を持つというのでしょうか?
会社と若者の価値観の相違
世間一般的にそんなこと知っていて当然だろうってことを、知らなかったなんていう会社は案外たくさんあります。
政治家がドヤ顔でココを改善した!と主張しても、そんなもの日常的にごく当たり前のことだろ!ってツッコみたくなるような間抜けを晒すことが度々あるように、世に言う「上に立つ者」とは、想像以上に忖度もできない世間知らずが多いです。
例えば、私は先日、仕事のシフトを一日減らすことを上司に希望しました。
理由は仕事がキツくて休みの日がもっと欲しかったからです。
私の会社は休日出勤が常態化しています。
通常のタクシーの隔日勤務では、12日が基本とされており、予備日に設けられた13日目がどうしようもない非常時の休日出勤分とされています。
この13日を上回ると完全な労基違反になります。
とはいえ、この13日目はあくまでも非常時という名目があるように、通常出勤用に使っていいシフトではありません。
当然、労基にバレたら怒られる事案です。
よってこの13日目を減らしたいと希望すれば、会社側も拒否できる道理がないのです。
問題はこの13日目を減らす際、上司は私が休みをもっと増やしたいからって理由を「全く理解できない」と言ってのけたのです。
所変わってこれはとある職人のお客さんを相手にしていたお話です。
土方系の仕事らしいのですが、やはり若手が不足がちということと、休日出勤が必要な時がしばしばあるそうなのですが、強要することはできないので若手に休日出勤をお願いしているとのこと。
しかし普段より高めの日給で依頼しても彼らは考える間もなく断ってしまうのだそうです。
その理由を職人さんは理解できないと悩んでいました。
職人さんも私の上司同様昭和生まれのバブル経験者だと思われます。
恐らく彼らの中には働いて働いてガンガン稼いで出世するという精神が今も生きているのでしょう。
ですが昨今の若者はその考え方とは異なります。これは間違いありません。
若者の場合は、生活に不自由しなければ、必要以上に仕事をして収入を稼ぐ気はないという考えなのではないか?と考えます。
昭和のバブル世代からすれば、働いて稼いで出世!なんてものが今以上に容易で、収入も大きかったことから、正に一夜城を築く勢いでマイホームを建てたりして一国一城の主となるのも現実的に可能な時代でした。
しかし現在はどうでしょうか?
賃金はギリギリだし仕事量は賃金よりも多く、税金も高い。
会社内も主だった経営陣によって役職ポストが定着しているから出世も厳しい。
土地も高く、マイホームを建てるなんてもう至難の業です。
今の若者である我々はそこがスタート地点なのです。
一企業でコツコツと働いたところで生活の維持こそできても、それ以上の収入が見込めない以上、向上心なんて湧いても来ない。
結果、働く意欲も喪失してしまうのです。
若者が望んでいるもの
今の若者が仕事において望んでいるものはお金よりも時間です。
大して関心もない仕事に務めること、関わりたくない人間と関わること、人から指図を受けること、会社という制約に縛られて働くということを今の若者は嫌います。
こういった若者たちの内面を企業は理解できないから若者を獲得することが上手くできないのだと思います。
こうなった原因は、日本社会全体における社畜とも言われる労働体制にあると思います。
アイドルグループの嵐が活動休止会見の際、大野君が「釣りしてる時も明日の仕事の事とか考えちゃって、一度そう言うものを振り払って自由になりたい」と口にしたことは、そもそも嵐どころかアイドルにも興味がなかった私ですら強く共感を覚えました。
これは恐らく多くの若者の代弁にも等しい願いだと思います。
週休二日と嘯いてみても、明日明後日にはもう仕事だ…なんて考えると、抜ける疲れも抜けません。
もう週5,6勤務は当たり前の体制に限界が来ているのです。
ストレスや疲労を解消できない状態では仕事の質が低下するのは必然です。
ある会社がそれまでの週休二日制から週休三日性に変更したところ、二日制の頃よりも仕事の質が向上したという事例まであります。
日本社会は若者を無闇に使い潰し過ぎました。
今の若者は出世や高収入を二の次にしてでも安定した休みを確保することを求めているのです。
この心境を理解できない会社には若者が増えることは望めないものだと思います。
生活費とある程度遊べるお金と多少なりとも貯金ができるお金を確保しつつ、安定した休日も確保できる環境を最低条件として多くの若者は望んでいます。
つまり若者が不足している会社は、この環境を満たせていない可能性が高いです。
だから若者に毛嫌いされるのです。
これから若者増やしたいと考える企業は、単に賃金などの労働条件だけでなく、こういった若者の求めているものを理解していく必要があります。
さもなくばユーチューバーやブロガーなどその他の個人で活動できるクリエイティブなジャンルに若者はどんどん視野を向けていきます。
人から指図されず、自分の好きなことを仕事にできる。
これだけで多くの若者は惹きつけられます。
なので私は、この先はフリーランスエンジニアが増えて、それが主体となっていくのではないかとも考えます。
それだけ日本社会が若者から労働意欲をすり減らしたのです。
しかし私はそれを咎めるべきとは思いません。
これが今日まで築き上げられてきた日本社会の現段階での結果であるのだから、そこからどう進展していくかが課題だと考えます。
願わくば、若者をこれ以上蔑ろにしない社会になって欲しいです。
もし「いいね!」と思えたら、どれかポチって頂けると今後の励みになります!
コメント